新岐阜駅前でのお手軽スナップ。
510、520のこの塗り分けは案外短かったのかもしれません。
撮影日 特記以外1971年4月4日
新岐阜駅前 金沢から来たモ554。
揖斐行きモ512、このころは市内線はモ510と520の続行運転でした。
同じく揖斐行きモ525
モ554とモ525
これも元金沢のモ562、後ろに「電車のりば」の看板が見えます。
モ551 バックの十六銀行もクラシカルですね。
新岐阜 デビューして間もないモ604、これが見られたのがうれしかった。
小さな車体によくここまでというくらい、床下も屋根も前面もいっぱいの電車でした。
新岐阜 モ600の止まる田神線ホームの脇からは
市内線連絡線がのびて、モ590が昼寝をしていました。
ついでに揖斐線を2枚
1971年7月21日 本巣北方付近 モ510+モ520
1971年7月21日 本巣北方 モ183
岐阜市内線の車両などについて「五条川鉄道写真館」吉野富雄様よりコメントいただきました。
510・520形の5枚窓コンビは、昭和42年の揖斐線直通開始に伴って、転換クロスシート化と紅白の2色塗化が実施されました。
貴サイトでもふれられていますが、揖斐線内は2両編成で520はTc扱い、市内線は続行運転とされたため、520形には単独運転用と連結運転時用2つのコントローラーがついていました。
(510形はHL制御、520形は直接制御のため。ただし510形のHL制御化は昭和43年以降に実施されたとのことです)
昭和49年12月から市内線でも連結運転を行うようになり、520形をM車として使う機会は少なくなりました。
市内線の連結運転は、当初は1往復のみでしたが、翌50年7月に4往復に増加、同年9月全列車が連結運転されるようになったそうです。
昭和51年頃からスカーレット一色に塗色変更されましたが、昭和63年には再度紅白の2色に戻されています。
なお、最後の180形ですが、これはもともと四国の琴平急行の1形だった車両です。
琴平急行は戦時中に不要路線として廃止された路線で、1形は昭和18年に名鉄入り、180形となりました。