名古屋市電
これっきりの名古屋駅前 1971

「大垣夜行」143Mで名古屋下車、
まだ動き始めていない早朝の町を市電が走っていた。
その後何度も名古屋には行っているが市電の写真を撮ったのはこの時だけだった。
撮影日 1971年4月3日


名古屋市電の誇る無音電車2000


これも2000、バックのビルは「大名古屋ビルヂング」だったかな。


名古屋市電の主力車1400、奥にチラリと市バスも見えます。


同じアングルばかりでなんですが、、、これは2扉の1600。
下之一色線用として日本初のワンマンカーになったのもこの形式でした。


乗用車の形式に興味を持たれる方も多いかも。


1400と2000、これで終わりです。m(_ _)m
後年最後の市電車庫の安田車庫のすぐそばに住むことになるとは思いもよりませんでした。


名古屋市電の形式などについて「五条川鉄道写真館」吉野富雄様より掲示板にコメントいただきました。

名古屋駅前の光景も、すっかり変わっています。
大名古屋ビルヂング(なぜ「ビルディング」と表記しなかったのかはわかりません)や名古屋ビル(1.3.4枚目のカットに写っている足場が組まれているビル)、毎日ビル(5枚目のカットのバックのビル)などは現在も残されていますが、ビルとビルとの間の空間がすっかり狭くなってしまいました。

1400型は昭和11年から製造された名古屋市電の主力車で、昭和49年3月末の市電全廃まで活躍した形式です。
名古屋市市電保存館に1421号、名古屋市科学館にトップナンバー1401号が保存されているほか、豊橋鉄道へ譲渡されたものは3100形として、現在でも7両が活躍しています。(記事記載当時)

1600型は昭和25年から製造された車両ですが、乗務員節約のため2扉車となり(当時はラッシュ時には中扉、後扉にそれぞれ車掌>がついていました)張り上げ屋根でないせいか1400型よりも古い車両に見えます。
(戦前はボギー車に車掌が2名乗務していたそうですが、戦後まで続いていたかどうかまでは確認できませんでした。名古屋市電では、昭和27年11月からは3扉車の中扉を乗車専用として車掌を後部乗務としていますが、それ以前は、車掌2名乗務だったと思うのですが…。そうでなければ「乗務員節約」のために扉を減らすことになりませんから。)
昭和29年には、1700型とともに17両が日本初のワンマン電車となりました。
春日井市交通児童館の1638号や刈谷市交通児童遊園の1603号が状態のよい保存車としてあげられます。

昭和31年製の2000型は直角カルダン駆動、弾性車輪を採用した高性能車です。
ただ、その先進性があだとなってか、市電全廃前の昭和47年までに廃車となってしまい、他社への譲渡もありませんでした。
この形式も2017号が名古屋市電保存館に保存されていますが、この車はもともと保存予定車にリストアップされていなかった車両です。
名古屋の幼稚園で倉庫として使われていたものの、幼稚園の改築のために解体の危機に瀕していたものを関係者の努力によって、保存にこぎつけたものです。

なお、名古屋市交通局では車両の形式に「型」の文字を使用したということですので、この書き込みもそれに従いました。

今回の書き込み訂正に当たっては、以下の書籍を参考にさせていただきました。
「名古屋市電が走った街 今昔」 徳田耕一氏編著 JTB
「名古屋の市電と街並み」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版
「路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版
「名古屋を走って77年」 名古屋市交通局編著

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