上野は馬車鉄道以来の都電発祥の地。
かつてはPCC5500も行き来したが、末期は福神橋からの24系統だけになっていた。
撮影日 特記以外は1972年3月29日
1972年8月20日 上野駅前
電停に高速道路が覆いかぶさっていっそう都電の末路を感じさせた。
1972年9月24日 上野駅前
1972年8月20日 上野駅前
1972年3月29日 上野駅前
国電のガードの手前、当時の京成デパート前の歩道橋より。
2枚目はこの写真奥の歩道橋から撮影しています。
左は上の写真の後打ち、上野駅南口の須田町方面行き電停が見えます。
6271は方向幕に縁取りのあるタイプ。
京成上野駅前の歩道橋より、京成上野駅前の電停は「上野駅南口」浅草方面行き電停
上の画像と同じ歩道橋より広小路方面を望む。
左のカラーのみ1968年10月1日撮影、よん・さん・とお当日です。
都民の日なので小旗を掲げています。奥には合流する20系統の電車も見えます。
赤札堂(ABAB)の前あたり。
奥の木立が上野公園、電車が止まっている先で20系統が分岐していました。
上野広小路交差点
上野広小路電停、電車2両分の安全地帯がありました。
右手は上野松坂屋。
上と同じ歩道橋から、渡り線が見えます。
須田町方面を望む。
最後に2枚、須田町を。
1972年9月24日 須田町
「乗りかえしげき須田町や」と電車唱歌の最初に謡われるこの交差点。
多くの系統が行きかった交差点には最後まで都電の姿がありました。
1971年3月14日 系統板は入っていませんが29系統の折り返し。