元々は日比谷公園から荒川の土手の手前の西荒川までの系統。
このころには都心部は短縮されて須田町までになっていた。
終点西荒川の手前には専用軌道で中川を渡る鉄橋もあった。
撮影日 1968年9月28日
西荒川終点、電車の向こうは荒川の土手。
西荒川には小さな待合所もあった。電車の向こうの洗濯物と捕虫網を持った少年が良いですね。
西荒川手前で単線になっていた。 右は小松川4丁目。
中川の電車専用橋を渡る。 亀戸9丁目、ここから専用軌道になっていた。
電照式用の系統板がなかったのか普通のものを横差し。
左は亀戸付近、右は亀戸駅前
38系統は錦糸掘から東陽公園、門前仲町を通って日本橋までの系統でした。
小名木川に行くD51が高架線を横切っていった。
錦糸掘車庫前、29系統は西荒川の下流の葛西橋から須田町までの系統。